2013年02月23日15:00~17:00 担当 王先生 ケイ先生
一日の各時間帯を表すのに、中国語には豊かな表現があります。
中国語24時
書き言葉では日本と同じように「午前」と「午後」に分けて表現しますが、話し言葉では上のように1日を分けて表現することが多いです。
日本語の「朝方〇時」「夕方の〇時」という感じです。
早上 | zǎoshang | 5:00頃~8:00頃まで |
---|---|---|
上午 | shàngwǔ | 8:00頃~12:00頃まで ただし0:00~12:00までの「午前」という意味もあります |
中午 | zhōngwǔ | 正午 |
下午 | xiàwǔ | 12:00頃~18:00頃まで ただし12:00~24:00までの「午後」という意味もあります |
傍晚 | bàngwǎn | 日没前。夕方。夕暮れ。 |
黄昏 | huánghūn | 傍晚にほぼ同じ。 |
晚上 | wǎnshàng | 晩。1:00頃~5:00頃まで |
半夜 | bànyè | 1:00頃~5:00頃まで。真夜中、または深夜。 |
夜里 | yèli | 夜。昔は夜を五つの「更」に分けていましたが、今はその代わりに時刻を使います。 一更:戌時(19:00-21:00) 二更:亥時(21:00-23:00) 三更:子時(23:00-01:00) 四更:丑時(01:00-03:00) 五更:寅時(03:00-05:00) |
凌晨 | língchén | 日が出るまでの深夜。約2:00~6:00。例えばラジオ放送などでは、4:00を凌晨四点といいます。しかし、7:00のときは、凌晨七点とは言いません。 「凌晨」と「深夜」の違い:前者は次の日の始まりで、後者は前の日の続きだというイメージです。 |
拂晓 | fúxiǎo | 払暁。明け方。科学的にいえば、太陽が地平線の下6度に達した時は「拂晓」といいます。【晨曦】chénxī、【黎明】límíngも拂晓にほぼ同じ。 |
破晓 | pòxiǎo | 夜が明けそめるとき。日の出のとき。 |
清晨 | qīngchén | 清晨に対する認識は人によりずれる場合がある。一般的には日の出の直後というイメージです。香港天文台では2008までは、「清晨」を0:00-06:00といふうに定義していましたが、日の出の前を含める点では一般的なイメージとずれていますので、2008年からこの語を使用しなくなりました。 |
早晨 | zǎochén | 普通、清晨から9時までの間を指します。日本語の「朝」に近いです。 |
日本語 | 中国語 | |
---|---|---|
有気無声音 | 同じ音素 | 音素1 |
無気無声音 | 音素2 | |
有気無声音と無気有声音の関係 | 互いに異音関係 | 互いに別音素 |
有声音 | 別音素 | 存在しない。 無気無声音を連想することがある。 |
中国にも「駄洒落」などといったもの、たくさんがあります。勿論、日常生活でも、文章でも、よく使われています。その歴史は古い時代に遡ると、現在には分かる記録が唐時代にあります。
なお、その類似ものは秦漢時代でも出現しました。たとえば、『戦国策』には「亡羊補牢、未為遲也。」という表現がありました。それは歇後語の元祖と言われています。現在中国語には多くの歇後語が存在しており、そのものは唐時代から1千年を越え、時代風俗を積み重ねてきたものです。
それを使うと、会話や文章は柔らかく、ユーモアのセンスが伝わり相手の気持ちを和ませます。
「歇後語」は書き言葉として使いますが、俗には「俏皮話兒」 と言います。その原理は前の半分だけ言って、後の半分は言わないことばです。
例えば、中国に有名な話は漢王朝を建てた漢高祖劉邦、蕭何や韓信の話です。蕭何や韓信は漢高祖劉邦を補佐し天下を取らしめた功臣ですが、あるとき韓信は自分の軍事指揮の才能を発揮する場所や職を与えてくれない劉邦を見限り、黙って劉邦のもとを去ろうとしたことがありました。それを連れ戻したのが丞相である蕭何です。そこで、蕭何月下追韓信----
とかければ、その心は 愛才 です。
もう一つの例文は 「孔夫子搬家——净是输(书)」です。本と負けるが同じ発音であることを利用したもので、言うときは前文だけ言えば、意味を伝えます。下記はよく使われている歇後語です。
ア. 論理的なこと
水仙不开花——装蒜
哑巴吃黄连──有苦说不出
百川归海——大势所趋
苦水里泡黄连--------苦上加苦
イ. 谐音 同じ発音の漢字を替えること。
空棺材出葬——目(木)中无人
外甥打灯笼——照旧(舅)
孔夫子搬家——净是输(书)
火烧旗杆——长叹(炭)
百日不下雨——久情(晴)
百尺竿头挂剪刀——高才(裁)
老爷下轿——不(步)行
老公拍扇——凄(妻)凉
一脚踢翻煤油炉——散伙(火)
纸糊的琵琶——谈(弹)不得
ウ. 物語
阿斗的江山——白送
刘备借荆州——只借不还
包公的尚方宝剑——先斩后奏
包公的铡刀——不认人
包公断案——认理不认人
曹操遇关公——喜不自喜
曹操遇马超——割须弃袍
楚霸王困垓下——四面楚歌
楚霸王种蒜——栽到家了
楚庄王理政——一鸣惊人
八仙过海--------各显神通
泥菩萨过江——自身难保
エ. 分類できないこと
阿婆留胡子——反常
阿二当郎中——没人敢请
岸上捞月——白费功夫
按方抓药——照办
按下葫芦浮起瓢--顾此失彼
案板上的肉--任人宰割
これには「東」と「西」の意味をどう考えるかによって、まったく異なる二つの解釈がありますが、いずれも憶測の域を出ず、本当のところはまだよくわかっておりません。
東と西は普通に方向、場所を指して、古いは「七十歳、八十歳」も指していたことがある。いつから「東西」が「物」となったのか。現在のところは、明清時代から使い始めましたと言われている記録があります。その解釈は二つの説があります。
一つは、まず「物」は「東南西北」の四方に産するとことわっておいた上で、「東南西北」の「東西」によって「物」を代表させるのは、四季の「春夏秋冬」の「春秋」によって「年月」を代表させるのと同じ道理だとする説です。有名な王力先生もこの説に傾いておられましたが、確かな証拠はないようです。
また、昔、長安や洛陽は「西京」「東京」と言い、「京」というのは商品を集めて、人を集めた大都会であるため、「東西」は「物産」のことと言われます。
もう一つは、「東南西北」と「五行」の「金木水火土」との組み合わせから説明します。
東→ 木 西→ 金 南→ 火 北→ 水 中原→土
そこで、水と火はものとして考えられないことが昔の中国人の一般的な思想です。そこから、木と金は物だと考えると、「東西」で貿易の対象になり、つまり「物」を表すようになったという結論を引き出してきます。ただ、この説は同意されることが小説や逸話の場合が多かったが、論理的には考え難いです。
次に、甲骨文には「東」や「西」は物をいれるための器物のような形を示した。そこから、ある説は文字の原始的形態から分析し、「物」の意味を引き出してきます。ただ、甲骨文の時代と「東西」を使い始めた時代とはかなり離れたため、この複合語がどのように構成され、どのようにその意味を変わるかを研究することは、大変面白い分野です。
同じく、「白雪公主」と「公主」ことが知っていますでしょうか。